自分に出来ることをやる

ビビリなため繰り返される津波や原発の映像がこわくて、
ここんところは日中はあまりテレビをつけられない。
しかし、被災地の方のために出来ることはなんだろうと貧乏な病持ちなりに考えている。
そうした中での結論は、気持ちはポジティブ、行動はいつも通りというもの。
被災した方々と救援の方々が頑張っていらっしゃる中、
外野の私が負のエネルギーを蓄えても何も良いことなんてないと教えてもらった。
そして、今出来ることだけをやるということ。
今回の大地震に限って、なぜか私は子供達のことがとてもとても心配になっている。
親と会えただろうか、避難所で我慢していないだろうか・・・。
だから衝動的行動が許されるなら、親を亡くしたちびっこちゃんがいたとしたら、
今すぐにでも引き取りに行きたいぐらいの気持ち。
しかしほぼ無職な我が家の状況ではそれは絶対無理な話なのである。
せめて義援金はそういう辛い状況に陥ってしまった子供達に使ってもらえる先を探したい。
今後、復旧作業が進んで被災者の方々が新しい生活を送れるようになったら、
大人が落ち着くまで例えば学校単位で子供達を疎開させるシステムとか作れないだろうか。
もう少し時間がたったら提案してくれる自治体が出てくれたりしないかな。


なぜこんなに子供達のことが気になるのか不思議だったのだが、昨日、あることに気付いた。
私は小学校の給食の様子が紹介されているホームページを時々見ていたのだが、
そこは仙台市内の小学校だったのだ。
小規模なのでお誕生月とか季節の行事を給食でお祝いしている様子がとても微笑ましい。
もしかしたら潜在意識の中でこの子達はどうなっているんだろうと思っていたのだろうか。
避難所の指定場所にその小学校の名前も入っている。心配。


私がばたばたしたり落ち込んでいたりしても仕方ないので、出来ることをやろうと決めた今日、
とりあえず、予定にしていなかったけど母の付き添いで病院に行った。
わざわざ良いよーと言ってくれたけど、診察を待つ間の話し相手になれて良かったかな?
手仕事の方は紙バンドのカゴをひとつ、仕上げた。何か作っていた方が気が紛れる。
明日からはブックカバー作りもぼちぼち始めよう。


同時にいつなんどき、自分が被災者になるか分からないので非常袋についても考えた。
うちにはひとつしかない。相方にもうひとつはどうする?と訊かれたので、
私が唯一持っているリュックタイプのバッグ(大昔に買ったジュンコ・シマダ)を非常袋に任命した。
私の大切な持ち物のひとつに常備薬がある。そのうち漢方薬は沸かせないので持ち出せない。
今、もっとも私が依存しているリリカは一定数しかもらえないので、バッグに入れておく余分なんてない。
しかしこれだけは絶対忘れずに持ち出さなくては。相方にもの凄い迷惑をかけることになる。
富山は災害のない街なので、非常袋の点検なんて全くしていなかったので、
去年で賞味期限が切れたアルファ米の美味しい混ぜご飯がいくつも見つかった。
今の我が家の家計を考えたら、なんてもったいないことをしたんだ・・・。


犠牲になった方々が安らかに眠れますように。
明日は今日より良い日でありますように。
そして、日本中の原発の運転が止まりますように。