芝居を映画にすること

土曜日は地元大学が主催する公開講座へ行ってきた。

同じ講師の方が昨年、イギリス文学をテーマにした時も行ったので2度目。
今回はシェイクスピア演劇が現代でも数多く映画化されているのはどうしてかというお話だった。一応大学での「シェイクスピア研究」は単位取得済みだし、過去そういう関係のスクーリングにも出席しているので予備知識は持っていた。あんまり関係なかったけど。「ハムレット」と「マクベス」の筋を知っていたことが役立ったぐらいか。

シェイクスピアの書く芝居は「三一致の法則」が破綻している為、映画的であるという結論はおもしろかった。「三一致の法則」とはウィキによると

「時の単一」「場の単一」「筋の単一」を言い、劇中の時間で1日のうちに(「時の単一」)、1つの場所で(「場の単一」)、1つの行為だけが完結する(「筋の一致」)という劇作上の制約
のこと。これ、どっかで読んだ記憶があるな。教科書かな。フランス古典演劇における規則がイギリス人の芝居に当てはまるのかはよく分からないのだけど、たしかに「三一致の法則」で書いた芝居は映画だとつまんなさそーな気はする。
もうひとつ、映画化される理由に登場人物の描き方が巧いってこともあるらしい。やたら人が出てくるからサイドストーリーも作りやすそうだしな。
あと、シェイクスピア作品の映画化にフランス人監督はあんまりいないらしいらしい。なんでだ。嫌いなの?

スピーチや書物などで引用されることが多いのは、聖書に次いでシェイクスピアだそう。私はかねてから聖書を知っていたら、西洋美術とか文学のアプローチも変わるだろうなと思い読みたいとは思っていたのだが、シェイクスピアも読んだ方が良いのか。古典の知識って必要だ。

こういう講義を聴いたら、映画も観たいし芝居もね、って思うんだけど、なかなか芝居を観に上京するってことも出来なくなった。お金も体力も気力もない。